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真田丸のキャスト情報、石田三成|気になる「真田丸」の武将達 [キャスト(武将)]

【真田丸の石田三成】
石田三成 (2).png
三成の登場シーンは、14話の「大阪」からです。
上杉景勝一行上洛シーンで越後から日本海に沿って進み
加賀に入った時に、秀吉の腹心・石田三成が待っているシ
ーンです。

そのキャスト石田三成を演じるのは、山本耕史さんです。
三谷脚本の大河ドラマでは、2004年の「新選組」土方歳三
以来12年ぶりの出演です。

この時の堺さんはキャスト山南敬助を演じていました。

真田丸のキャスト真田信繁とキャスト石田三成の掛け合い
シーンを堺さんと山本さんがガチンコで演技をします。

この14話、石田三成登場シーンが楽しみです。
(その感想は視聴後に・・・)

石田三成は秀吉の知恵袋です。策士家でとても頭が切れ
る武将として知られています。

その策士家が知謀では同類の真田昌幸とどのように接し
ていくかも三成登場後の真田丸を楽しむポイントの一つ
でしょう。

信繁と三成の初対面は、直江兼続が三成に紹介するシー
ンです。
しかし三成は信繁を無視します。印象は良くありません。

その後も形式にこだわる三成の好感度は低いままです。

さて、秀吉にその才能を見出されたキャスト石田三成を
脚本家・三谷幸喜はどのように描くのでしょうか?

策を講じながら真田一族の頭首として大名たちと互角に
勝負してきたキャスト真田昌幸を三谷流脚本は見事に
高視聴率の数値を取っています。

14話以降の真田丸の楽しみが一つ増えましたね。


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【石田三成】
(いしだみつなり)
永禄3年(1560年)~慶長5年10月1日(1600年11月6日)

安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣、豊臣政権の
五奉行の一人です。
関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られてい
ます。

【秀吉時代】
天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変により横死し、
次の天下人として秀吉が台頭すると、三成も秀吉の側近
として次第に台頭してきます。

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家軍の動
向を探る偵察行動を担当し、また先駈衆として一番槍の
功名をあげました。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いにも従軍し、
同年、近江国蒲生郡の検地奉行を務めました。

【秀吉死後】
秀吉死後、豊臣氏の家督は嫡男の豊臣秀頼が継ぎます。
しかし、
関東250万石の大老・徳川家康が次第に台頭してきます。

家康は、
三成と対立関係にあった福島正則や加藤清正、黒田長政
らと、豊臣氏に無断で次々と縁戚関係を結んでいのです。

三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福島正則、
黒田長政、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明の
七将が、三成の大坂屋敷を襲撃する事件がおきます。
(石田三成襲撃事件)

【関ヶ原】
家康は諸大名を従えて会津征伐に赴きます。

これを東西から家康を挟撃する好機として挙兵を決意した
三成は、慶長5年(1600年)7月、三成は家康を排除すべく、
上杉家の家老・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図ります。

そして、
家康に従って関東へ行こうとした大谷吉継を味方に引き込
もうとします。

吉継は、家康と対立することは無謀であるとして初めは反対
しますが、三成との友誼などもあって承諾します。

関ケ原の戦いでは布陣のうえでは、石田三成率いる西軍が
優位に立ちますが小早川秀秋らの裏切りにあって敗北します。

最後は京都の六条河原で処刑されてしまいます。


14話大阪編からのキャスト (武将達)のまとめはこちらから

⇒真田丸14話大阪編からの ネタバレのまとめはこちら



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タグ:石田三成
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