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真田丸のキャスト情報、戦国武将の真田信幸(幸村の兄) [キャスト(武将)]

信繁(幸村)の兄【真田信幸】(さなだのぶゆき)

NHK大河ドラマの真田丸に登場する戦国武将のキャスト
「真田信幸」は真田昌幸の長男で信繁(幸村)の兄です。

幼少時代の呼び名は源三郎で、信繁(幸村)とは信頼しきっている中で
育ちました。

秀才で真面目で慎重派な武将で徳川4代まで仕え、長生きしました。

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【真田信幸】

嫡男という自負のもと真田家を守り抜いた武将
真田信幸.jpg

永禄9年(1566年)~万治元年10月17日(1658年11月12日)92歳
源三郎⇒信幸⇒信之


【武田家臣時代】

永禄9年(1566年)、真田昌幸の長男として生まれました。

父の昌幸は天正3年5月21日の長篠の戦いにおいて兄の信綱・昌輝がともに
戦死すると、真田姓に復姓して家督を継承します。

昌幸の子である信幸は武田家の人質として過ごしますが、

天正10年(1582年)3月に
武田家が織田信長の武田征伐によって滅ぼされると、
同じく人質だった母の山手殿と共に上田の父の元へと逃げました。

父の昌幸は、諸大名を天秤にかけ、時流を見極めつつ生き残りを図ります。

そんな父の姿を見て育った「信幸」は、父の采配に翻弄されながらも
必死で食らいついて成長していきます。

それは、
後継ぎとしての自負があるからで、真田家のためなら何でもできる武将でした。


【武田家滅亡後】

天正10年(1582年)3月に武田家は織田信長によって滅ぼされます。

その後の真田家は、
信長に臣従し本領を安堵されますが、同年6月に信長は本能寺の変で横死します。

「第一次上田合戦」では、上田城の昌幸と連携し戸石城(といし)を拠点に戦い

徳川軍を撃退させます。

その後は秀吉の時代になり、秀吉に臣従し真田家は一時的に徳川の家臣になります。

信幸は秀吉に従属した徳川家の重臣、
本田忠勝の娘・稲(小松姫)と結婚し、徳川家との絆を強めます。


【関ケ原の戦い】

秀吉死後、
慶長5年(1600年)に失脚していた五奉行の石田三成が挙兵します。

父の昌幸と弟の信繁(幸村)は、
三成らの西軍に付いたのに対し、家康の養女を妻とする信幸は
家康らの東軍に参加することを決めます。

徳川秀忠軍に属して、
上田城攻め(第二次上田合戦)に参加します。

戦いの前に義弟の本多忠政と共に、
父の説得に赴いたが、結局失敗に終わります。

信幸は弟・信繁(幸村)が防衛する戸石城の攻略を命じられたが、
真田兵同士の消耗を避ける為開城請求の使者を派遣、
信繁(幸村)も兄の意を汲み開城に応じました。

信幸は入城後守備し、
信繁(幸村)は昌幸のいる上田城へ撤退しました。

なお、
秀忠軍本隊は家康の使者の遅れもあって、関ヶ原の戦いには遅参し、
本戦には参加することができませんでした。


【大阪の陣】

大阪の陣で徳川の世になり、
真田信幸は、徳川家康、秀忠、家光、家綱の4代まで仕えます。
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タグ:真田信幸
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