真田丸のキャスト情報、戦国武将の滝川一益 [キャスト(武将)]
【真田丸の滝川一益】
真田丸への登場は、第4話「挑戦」の後半ですね。
信濃の法華寺で宿している信長に真田昌幸と信繁が対面します。
その案内役です。
エンディングで一益は「宜しく頼む」と優しい言葉を昌幸にかけます。
この一言で一益は優しい人?そんな印象を持ちました。
【真田丸第5話の一益】
第5話「窮地」の後半で、滝川一益は昌幸を呼び出します。
この時点では一益は本能寺の変の情報は入っていません。
昌幸はその件に関しては口を閉じて、信幸と顔を合わせます。
一益は、
関東平定を信長から任されその資料をまとめ、ひと段落した後です。
上野に良い湯治場はないか?と昌幸に尋ねるのです。
昌幸は
それなら「草津の湯」が良いのでは・・・と応えると、
一益は「少し疲れた、連戦続きだったので体を休めたい。」と、
涼しい顔で話します。
そして、上様はすごい人だ。
これでこの国から戦が無くなる。上様が統一してくれる。
と昌幸に話すのです。昌幸はきょとんとし何のことなのか?
本能寺の変は天正10年、1582年です。
16世紀後半の武将は全国を一武将(信長)が統一することは不可能である。
と思っていたのでしょう?
信長は自らが神になると、そして世界に出ると家臣に話をしていたので、
一益はそれを信じ、ひたすら職務に励んでいたのでしょう。
織田家が滅びる事は想像できない考えられないことだったのです。
日本統一、世界進出の上様、信長についていく生真面目な武将でした。
キャスト滝川一益を演じるは「段田安則」さんですが、
「人を信じたい」気持ちが強い、いい人だった気がしています。
と言っております。
段田さんは20年前の「秀吉」以来の大河です。くしくも前作と同じく
滝川一益を演じています。
三谷さんのイメージは「中間管理職っぽい」と言ってました。
信長に心酔している管理職で戦のない世の中を実現するという信長の考えに
共感していたのでしょう。
昌幸はそんな中間管理職の部下になるのです。
さてさて、第6話以降で一益はどうなるのでしょうか?
スポンサードリンク
【滝川一益】(たきがわ いちます / かずます)
織田信長の家臣。織田四天王の一人。
大永5年(1525年)~天正14年9月9日(1586年10月21日)
享年62歳
「武田討伐と関東鎮定」
天正10年(1582年)一益は武田勝頼を追い詰め、
天目山麓で討ち取るという功績を挙げます。
一益は
上野一国と信濃の小県郡・佐久郡を与えられます。
しかしながら一益は領地よりも、
茶器(安土名物とも呼ばれた「珠光小茄子」)を所望したが叶わなかった
ことを悔しがったという逸話があります。
この件でも信長が茶器の価値を高めたことが解るエピソードですね。
以後、一益は上野箕輪城、次に厩橋城に入り、
ここで関東の鎮定にあたります。
「本能寺の変」
一益が信長の死を知ったのは事変から5日後の6月7日でした。
清洲にて三法師(織田秀信)に拝礼後、7月1日伊勢に帰ります。。
しかし、
この途上にあった27日に清洲会議が開かれたため、
一益は出席できなかったのです。
この件で織田家における一益の地位は急落します。
「賤ヶ岳の戦いと出家」
清洲会議後、信長の嫡孫・三法師が織田氏の後継者となります。
天正11年(1583年)正月元旦、一益は勝家に与して秀吉との戦端を開きます。
勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れ、
4月23日に北ノ庄において自害、これにより一益は所領を全て没収され、
京都妙心寺で剃髪、朝山日乗の絵を秀吉に進上し、降伏します。
「小牧・長久手の戦いと晩年」
天正12年(1584年)、
今度は織田信雄が徳川家康と共に反秀吉の兵を挙げます。
(小牧・長久手の戦い)。
一益は秀吉に隠居から呼び戻され、今回は秀吉方になります。
⇒いままでのキャスト (武将達)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (戦国武将の女衆)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (俳優・女優)のまとめはこちらから
⇒いままでの ネタバレ(あらすじ)のまとめはこちらから
⇒いままでの 視聴率のまとめはこちらから
スポンサードリンク
真田丸への登場は、第4話「挑戦」の後半ですね。
信濃の法華寺で宿している信長に真田昌幸と信繁が対面します。
その案内役です。
エンディングで一益は「宜しく頼む」と優しい言葉を昌幸にかけます。
この一言で一益は優しい人?そんな印象を持ちました。
【真田丸第5話の一益】
第5話「窮地」の後半で、滝川一益は昌幸を呼び出します。
この時点では一益は本能寺の変の情報は入っていません。
昌幸はその件に関しては口を閉じて、信幸と顔を合わせます。
一益は、
関東平定を信長から任されその資料をまとめ、ひと段落した後です。
上野に良い湯治場はないか?と昌幸に尋ねるのです。
昌幸は
それなら「草津の湯」が良いのでは・・・と応えると、
一益は「少し疲れた、連戦続きだったので体を休めたい。」と、
涼しい顔で話します。
そして、上様はすごい人だ。
これでこの国から戦が無くなる。上様が統一してくれる。
と昌幸に話すのです。昌幸はきょとんとし何のことなのか?
本能寺の変は天正10年、1582年です。
16世紀後半の武将は全国を一武将(信長)が統一することは不可能である。
と思っていたのでしょう?
信長は自らが神になると、そして世界に出ると家臣に話をしていたので、
一益はそれを信じ、ひたすら職務に励んでいたのでしょう。
織田家が滅びる事は想像できない考えられないことだったのです。
日本統一、世界進出の上様、信長についていく生真面目な武将でした。
キャスト滝川一益を演じるは「段田安則」さんですが、
「人を信じたい」気持ちが強い、いい人だった気がしています。
と言っております。
段田さんは20年前の「秀吉」以来の大河です。くしくも前作と同じく
滝川一益を演じています。
三谷さんのイメージは「中間管理職っぽい」と言ってました。
信長に心酔している管理職で戦のない世の中を実現するという信長の考えに
共感していたのでしょう。
昌幸はそんな中間管理職の部下になるのです。
さてさて、第6話以降で一益はどうなるのでしょうか?
スポンサードリンク
【滝川一益】(たきがわ いちます / かずます)
織田信長の家臣。織田四天王の一人。
大永5年(1525年)~天正14年9月9日(1586年10月21日)
享年62歳
「武田討伐と関東鎮定」
天正10年(1582年)一益は武田勝頼を追い詰め、
天目山麓で討ち取るという功績を挙げます。
一益は
上野一国と信濃の小県郡・佐久郡を与えられます。
しかしながら一益は領地よりも、
茶器(安土名物とも呼ばれた「珠光小茄子」)を所望したが叶わなかった
ことを悔しがったという逸話があります。
この件でも信長が茶器の価値を高めたことが解るエピソードですね。
以後、一益は上野箕輪城、次に厩橋城に入り、
ここで関東の鎮定にあたります。
「本能寺の変」
一益が信長の死を知ったのは事変から5日後の6月7日でした。
清洲にて三法師(織田秀信)に拝礼後、7月1日伊勢に帰ります。。
しかし、
この途上にあった27日に清洲会議が開かれたため、
一益は出席できなかったのです。
この件で織田家における一益の地位は急落します。
「賤ヶ岳の戦いと出家」
清洲会議後、信長の嫡孫・三法師が織田氏の後継者となります。
天正11年(1583年)正月元旦、一益は勝家に与して秀吉との戦端を開きます。
勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れ、
4月23日に北ノ庄において自害、これにより一益は所領を全て没収され、
京都妙心寺で剃髪、朝山日乗の絵を秀吉に進上し、降伏します。
「小牧・長久手の戦いと晩年」
天正12年(1584年)、
今度は織田信雄が徳川家康と共に反秀吉の兵を挙げます。
(小牧・長久手の戦い)。
一益は秀吉に隠居から呼び戻され、今回は秀吉方になります。
⇒いままでのキャスト (武将達)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (戦国武将の女衆)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (俳優・女優)のまとめはこちらから
⇒いままでの ネタバレ(あらすじ)のまとめはこちらから
⇒いままでの 視聴率のまとめはこちらから
スポンサードリンク
タグ:滝川一益
コメント 0