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真田丸のキャスト情報、戦国武将の明智光秀 [キャスト(武将)]

【真田丸の明智光秀・・・】
真田丸のキャスト戦国武将の明智光秀の登場は、
第4話の後半で信繁が信長に対面した後です。

信長の印象を三十郎に語っていた時に、信長が鬼のような形相で、
一人の家臣の頭を欄干に何度も打ち付けられている姿を見ます。

その欄干に打ち付けられている武将が明智光秀でした。


【明智光秀】
明智光秀.jpg
享禄元年(1528年)~天正10年6月13日(1582年7月2日)
幼名は彦太郎
通称:十兵衛、惟任日向守
美濃の出身で、将軍足利義昭に仕えたのち、
戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられます。



【明智光秀は・・・】
その目はもの悲しく、
信長に対する愛着心と同情心すら感じるカットでした。

それもそのはず、
三谷さんの光秀イメージは信長を好きで好きでたまらない
家来であるとのキャストです。

光秀のその後は諸説ありますね。
実は生きていた説で、南光坊天海説がもっとも有名なお話です。

日光に明智平と呼ばれる区域があるそうです。
日光といえば東照宮で徳川家康です。

明智光秀の家臣の一人に斉藤利三という武将がいます。
もちろん光秀と同じ運命ですが、
その娘於福は後の春日局で三代将軍家光の乳母です。

春日局天海に会った時にお久しぶりですと声をかけたとか・・・

いずれにせよ歴史の闇ですが、明智は織田を滅ぼしました。

その後は豊臣の天下になり、徳川と繋がります。

徳川と明智の何らかの関係性はあったのではないでしょうか。


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【明智のお役目】
公家や寺社との交渉役などを担当し、近江・滋賀郡を与えられ、
坂本城を築きます。

丹波攻略の功により、亀山城主となります。

その後、突如、本能寺の変を起こし信長を暗殺します。

さらにその息子・信忠を二条城に囲んで敗死させます。

直後に、
中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、落ちていく途中、
一説では小栗栖で落ち武者狩りの百姓から致命傷を受け、自害した
らしいです。

これは光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後のことでした。
ゆえに、
その短い治世は「三日天下」とも言います。


■本能寺の変は、
天正10年(1582年)6月2日、居間に戻った信長は自ら火を放ち、
燃え盛る炎の中で、自害して果てた。享年49(満48歳没)。


【キャスト】
真田丸のキャスト明智光秀を演じるは岩下尚史(ひさふみ)さんです。

岩下さんは役者ではありません。作家さんです。

1961年生まれの熊本県出身の方で、
2006年処女作「芸者論・神々に扮することを忘れた日本人」で
和辻哲郎文化賞を受賞しています。

近著には、小説「見出された恋」があります。
又TVやラジオではコメンテーターとしても活躍しています。
今、真田丸にて俳優デビューです。

しかしながら三谷さんのキャスティングは面白いですね。
同業者を役者にしてしまう。なかなかです。


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タグ:明智光秀
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