真田丸20話「前兆」ネタバレと感想|気になるドラマ真田丸の武将達 [脚本ネタバレ]
真田丸20話「前兆」ネタバレと感想
ついに天下統一を達成したも当然の秀吉です。
前週も茶々に従わないのは北条と仙台の伊達政宗だと豪語
していました。
←真田丸19話「恋路」視聴後の感想はこちら・・・
秀吉は19話で茶々へプロポーズし側室にしました。
ここから、茶々の力は正室以上の力を持つことになります。
その始まりが20話「前兆」です。
関白・豊臣秀吉を語るときの側近者で最も気になる人物は
やはり「茶々」でしょう。
秀吉は、
茶々を側室にする前にも沢山の側室はいました。しかし
正室の寧を含めて「子」はいませんでした。
そのことは、秀吉の最大な悩みであったわけです。
大大名は家の存続を血族で固めるために多くの側室持ち、
子を持つのです。
家康は16人の子供がいたと言われています。
百姓の子が天下を取りました。
しかしその天下人・豊臣家を継がせる子がいないのです。
そこに秀吉の元に朗報が舞い込んできます。
茶々が懐妊したのです。側室・茶々が身ごもったのです。
秀吉は天にも昇る気持ちだったでしょう。
本当にうれしかったと思います。
しかし側近者たちは皆、疑問?だったことでしょう。
現代医学ならDNA検査ですぐわかってしまうことですが、
この時代では本当に秀吉の子供であるか否かは、
母になる茶々しかわからないことです。
関白・豊臣秀吉を語るとき、ドラマ化する時の大きな柱に
なる出来事です。
真田丸でもこの事実から被害者が続出する、
とても語るに語れない出来事が発生します。
元来、天下を取る権力者とは必ず二面性を持ち人心掌握を
しています。
秀吉のもう一つの顔がこの出来事によって表面化するのです。
最も恐ろしい顔です。「門番たちをすべてはりつけに処す」
史実によれば、茶々と秀吉の最初の子は天正17年(1589年)
に誕生しています。(すて、捨=鶴松)
秀吉は天文6年2月6日(1537年3月17日)の生まれですので、
この捨は秀吉52歳の子供ということになります。
(ドラマでは54歳の子供と表現していました)
現代社会ではもちろんありうることですが、この時代、
人生50年と言われた時代で門番も含めて疑問視したのは
当然だと思います。
ある夜、聚楽邸の壁にある落書きが発見されます。
その落書きは高齢の秀吉に子ができたことを揶揄する
内容でした。
そしてその犯人捜しを三成に命じるのです。
もちろん信繁にも・・・
そして、ある門番の名が浮かび上がるのです。
そこで怒りが収まらない秀吉は、
「門番たちをすべてはりつけに処す」となるわけです。
この権力者、独裁者の二面性を真田丸20話「前兆」で
どのように描くのでしょうか。
豊臣政権崩壊の始まりの「前兆」でしょうか?
追記:視聴後の感想
秀吉は民の声を恐れていたのです。秀吉も百姓の出、民の
声を気にしない訳がありません。
しかし権力を得た人間は傲慢になり人の意見を聞きません。
現代社会でもかなり多く存在すると思いますよ。(大小)
その暴走を止めたのはこのドラマでは石田三成と寧です。
さて、三谷幸喜はこの石田をどのように描いていくのか?
悪い憎たらしい奴のイメージが強い石田三成、そして信繁と
の関わり・・・面白くなってきましたね。
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一方、真田家の嫡男・信幸は家康の計らいで本多忠勝の
娘・稲を正室に迎えます。
え?信幸は結婚していなかったか?と思いますよね。
そうです、信幸はこうと離縁していたのです。
武士の嫡男は大変でした。
結婚とは好きとか嫌いとかの感情が入らない儀式なのです。
その後の「こう」は真田家とどのような形で関わるのでしょうか?
さて、第20話が始まるころには、
「2016年 NHK大河ドラマ特別展 真田丸」
が東京都墨田区の江戸博物館で開催しています。
まだ観に行ってませんが、
真田信繁ゆかりの品々を一堂に集め展示していますので
早く観に行かねばと思っています。
展示会は東京が、
6月19日まで、その後は7月2日~8月21日までが
上田市立美術館、9月17日~11月6日までが
大阪歴史博物館で開催しています。
⇒真田丸、21話「戦端」ネタバレと感想・・・
⇒ 14話大阪編からのキャスト (武将達)のまとめはこちらから
⇒真田丸14話大阪編からの ネタバレのまとめはこちら
■第15話からの視聴率はこちら・・・
⇒1話~13話のキャスト (武将達)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (戦国武将の女衆)のまとめはこちらから
⇒いままでのキャスト (俳優・女優)のまとめはこちらから
⇒いままでの ネタバレ(あらすじ)のまとめはこちらから
⇒いままでの 視聴率のまとめはこちらから
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ついに天下統一を達成したも当然の秀吉です。
前週も茶々に従わないのは北条と仙台の伊達政宗だと豪語
していました。
←真田丸19話「恋路」視聴後の感想はこちら・・・
秀吉は19話で茶々へプロポーズし側室にしました。
ここから、茶々の力は正室以上の力を持つことになります。
その始まりが20話「前兆」です。
関白・豊臣秀吉を語るときの側近者で最も気になる人物は
やはり「茶々」でしょう。
秀吉は、
茶々を側室にする前にも沢山の側室はいました。しかし
正室の寧を含めて「子」はいませんでした。
そのことは、秀吉の最大な悩みであったわけです。
大大名は家の存続を血族で固めるために多くの側室持ち、
子を持つのです。
家康は16人の子供がいたと言われています。
百姓の子が天下を取りました。
しかしその天下人・豊臣家を継がせる子がいないのです。
そこに秀吉の元に朗報が舞い込んできます。
茶々が懐妊したのです。側室・茶々が身ごもったのです。
秀吉は天にも昇る気持ちだったでしょう。
本当にうれしかったと思います。
しかし側近者たちは皆、疑問?だったことでしょう。
現代医学ならDNA検査ですぐわかってしまうことですが、
この時代では本当に秀吉の子供であるか否かは、
母になる茶々しかわからないことです。
関白・豊臣秀吉を語るとき、ドラマ化する時の大きな柱に
なる出来事です。
真田丸でもこの事実から被害者が続出する、
とても語るに語れない出来事が発生します。
元来、天下を取る権力者とは必ず二面性を持ち人心掌握を
しています。
秀吉のもう一つの顔がこの出来事によって表面化するのです。
最も恐ろしい顔です。「門番たちをすべてはりつけに処す」
史実によれば、茶々と秀吉の最初の子は天正17年(1589年)
に誕生しています。(すて、捨=鶴松)
秀吉は天文6年2月6日(1537年3月17日)の生まれですので、
この捨は秀吉52歳の子供ということになります。
(ドラマでは54歳の子供と表現していました)
現代社会ではもちろんありうることですが、この時代、
人生50年と言われた時代で門番も含めて疑問視したのは
当然だと思います。
ある夜、聚楽邸の壁にある落書きが発見されます。
その落書きは高齢の秀吉に子ができたことを揶揄する
内容でした。
そしてその犯人捜しを三成に命じるのです。
もちろん信繁にも・・・
そして、ある門番の名が浮かび上がるのです。
そこで怒りが収まらない秀吉は、
「門番たちをすべてはりつけに処す」となるわけです。
この権力者、独裁者の二面性を真田丸20話「前兆」で
どのように描くのでしょうか。
豊臣政権崩壊の始まりの「前兆」でしょうか?
追記:視聴後の感想
秀吉は民の声を恐れていたのです。秀吉も百姓の出、民の
声を気にしない訳がありません。
しかし権力を得た人間は傲慢になり人の意見を聞きません。
現代社会でもかなり多く存在すると思いますよ。(大小)
その暴走を止めたのはこのドラマでは石田三成と寧です。
さて、三谷幸喜はこの石田をどのように描いていくのか?
悪い憎たらしい奴のイメージが強い石田三成、そして信繁と
の関わり・・・面白くなってきましたね。
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一方、真田家の嫡男・信幸は家康の計らいで本多忠勝の
娘・稲を正室に迎えます。
え?信幸は結婚していなかったか?と思いますよね。
そうです、信幸はこうと離縁していたのです。
武士の嫡男は大変でした。
結婚とは好きとか嫌いとかの感情が入らない儀式なのです。
その後の「こう」は真田家とどのような形で関わるのでしょうか?
さて、第20話が始まるころには、
「2016年 NHK大河ドラマ特別展 真田丸」
が東京都墨田区の江戸博物館で開催しています。
まだ観に行ってませんが、
真田信繁ゆかりの品々を一堂に集め展示していますので
早く観に行かねばと思っています。
展示会は東京が、
6月19日まで、その後は7月2日~8月21日までが
上田市立美術館、9月17日~11月6日までが
大阪歴史博物館で開催しています。
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⇒ 14話大阪編からのキャスト (武将達)のまとめはこちらから
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