真田丸のキャスト情報、北条家5代当主 北条氏直 [キャスト(武将)]
北条家5代当主 北条氏直
【真田丸の北条氏直】
真田丸のあらすじネタバレで登場するのは第6話「迷走」です。
織田信長の横死が
相模の小田原城を本拠とする氏政、氏直の親子に伝わる場面で、
信長の家臣・滝川一益が上野・信濃を留守の間は攻めないようにと
真田信伊が頼みに行くシーンです。
真田丸、あらすじネタバレ第6話「迷走」その③はこちら・・・
第8回「調略」(2月28日放送)では、
信伊の頼みに反して、上野を奪い、信濃の国衆を次々に
服従させていくシーンから始まりますので、氏直の登場シーンは
多くなるはずです。
氏直は5代当主、その親は4代氏政です。
武田家とは親戚関係でした。(もちろん政略的な)
信濃の地は相模の北条家にとっても最もほしい地であり
ここを制して越後も侵略する戦略です。
しかし、この歴史的な天性壬午の乱で、
真田丸の真田昌幸はその知謀をめぐらし小さな組織で
この関東の雄、北条家に立ち向かうのです。
歴史ある北条家、
その若き5代当主がどのようにこの戦国時代で立ち振る舞うか
とても楽しみです。
真田家とは沼田領をめぐり幾度となく戦うが、結局、
攻略できませんでした。
秀吉が天下人になるドラマ展開から、真田丸のキャスト北条氏直を
少しづつ、追記いたします。
尚、
真田丸のキャスト北条氏直を演じるのは細田善彦さんです。
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【北条氏直】(ほうじょう うじなお)プロフィール
永禄5年(1562年)~天正19年11月4日(1591年12月19日)享年30歳
父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院ですので、信玄の孫です。
父と共に北条氏の最大版図を築き上げたが、
外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、北条氏の関東支配は
終焉します。
氏直は永禄5年(1562年)に氏政の次男として小田原城で生まれます。
幼名は国王丸、武田義信・武田勝頼の甥です。
天正8年(1580年)8月19日、
父の隠居により家督を継いで北条家の第5代当主となります。
しかし、実権はなおも父・氏政が握っていました。
天正10年、氏直は4万3千を称する大軍をもって上野侵攻を開始します。
19日の神流川の戦いで氏直本軍が一益軍に勝利します。
佐久郡・小県郡を支配下におさめ、
新府城を本陣に七里岩台上に布陣した徳川家康軍と甲斐若神子城
において対陣します。
「甲斐は祖父(武田信玄)の旧領国」ということで
領有を強く望む氏直と、
徳川軍との対陣は80日間に及んだ(天正壬午の乱)が、
滝川一益敗退後に北条に帰参していた真田昌幸や木曾義昌が
離反します。
その後、上野は氏直、甲斐・信濃は家康が領有し、
家康の娘が氏直に嫁ぐことで両軍の和睦・同盟が成立します。
そしてこの結果として、
天正11年(1583年)8月15日、家康の娘・督姫が氏直に嫁ぎます。
天正18年(1590年)から秀吉による小田原征伐が始まります。
北条家は、小田原城で籠城します。
籠城は4月から3カ月に及んだが、
秀吉の大軍による小田原城の完全包囲で秀吉に降伏します。
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【真田丸の北条氏直】
真田丸のあらすじネタバレで登場するのは第6話「迷走」です。
織田信長の横死が
相模の小田原城を本拠とする氏政、氏直の親子に伝わる場面で、
信長の家臣・滝川一益が上野・信濃を留守の間は攻めないようにと
真田信伊が頼みに行くシーンです。
真田丸、あらすじネタバレ第6話「迷走」その③はこちら・・・
第8回「調略」(2月28日放送)では、
信伊の頼みに反して、上野を奪い、信濃の国衆を次々に
服従させていくシーンから始まりますので、氏直の登場シーンは
多くなるはずです。
氏直は5代当主、その親は4代氏政です。
武田家とは親戚関係でした。(もちろん政略的な)
信濃の地は相模の北条家にとっても最もほしい地であり
ここを制して越後も侵略する戦略です。
しかし、この歴史的な天性壬午の乱で、
真田丸の真田昌幸はその知謀をめぐらし小さな組織で
この関東の雄、北条家に立ち向かうのです。
歴史ある北条家、
その若き5代当主がどのようにこの戦国時代で立ち振る舞うか
とても楽しみです。
真田家とは沼田領をめぐり幾度となく戦うが、結局、
攻略できませんでした。
秀吉が天下人になるドラマ展開から、真田丸のキャスト北条氏直を
少しづつ、追記いたします。
尚、
真田丸のキャスト北条氏直を演じるのは細田善彦さんです。
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【北条氏直】(ほうじょう うじなお)プロフィール
永禄5年(1562年)~天正19年11月4日(1591年12月19日)享年30歳
父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院ですので、信玄の孫です。
父と共に北条氏の最大版図を築き上げたが、
外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、北条氏の関東支配は
終焉します。
氏直は永禄5年(1562年)に氏政の次男として小田原城で生まれます。
幼名は国王丸、武田義信・武田勝頼の甥です。
天正8年(1580年)8月19日、
父の隠居により家督を継いで北条家の第5代当主となります。
しかし、実権はなおも父・氏政が握っていました。
天正10年、氏直は4万3千を称する大軍をもって上野侵攻を開始します。
19日の神流川の戦いで氏直本軍が一益軍に勝利します。
佐久郡・小県郡を支配下におさめ、
新府城を本陣に七里岩台上に布陣した徳川家康軍と甲斐若神子城
において対陣します。
「甲斐は祖父(武田信玄)の旧領国」ということで
領有を強く望む氏直と、
徳川軍との対陣は80日間に及んだ(天正壬午の乱)が、
滝川一益敗退後に北条に帰参していた真田昌幸や木曾義昌が
離反します。
その後、上野は氏直、甲斐・信濃は家康が領有し、
家康の娘が氏直に嫁ぐことで両軍の和睦・同盟が成立します。
そしてこの結果として、
天正11年(1583年)8月15日、家康の娘・督姫が氏直に嫁ぎます。
天正18年(1590年)から秀吉による小田原征伐が始まります。
北条家は、小田原城で籠城します。
籠城は4月から3カ月に及んだが、
秀吉の大軍による小田原城の完全包囲で秀吉に降伏します。
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