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真田丸のキャスト情報、戦国武将の本多忠勝=真田信幸の義父 [キャスト(武将)]

【本多忠勝】
徳川氏の家臣です。
本多忠勝.jpg
生まれ:天文17年2月8日(1548年3月17日)~
慶長15年10月18日(1610年12月3日)


幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に
桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣します。
このとき、同時に元服しました。

【家康とともに】
人質時代から家康とともに苦難を一緒に乗り越えてきた
兄弟以上の関係で生涯を過ごします。

数々の戦いで目覚ましい活躍を見せますが、

長篠の戦い終了後は、どこか物憂げであり、家臣がその訳を尋ねると、
「武田家の惜しい武将達を亡くした」と思っている、と言います。

本能寺の変に際しては、
堺を遊歴していた家康に岡崎城への帰還を進言し、
共に伊賀越えの危地を切り抜けました。

小牧・長久手の戦いでは、
わずか500名の軍勢を率いて秀吉自ら率いる8万の大軍と対峙し
ています。

秀吉の家臣、加藤清正・福島正則らが忠勝を討ち取るべしと進言します。

しかし、忠勝の姉川での勇猛ぶりを聞き知っていた秀吉は目に涙を浮かべ

「わざと寡兵で我が大軍に勇を示すのは、我が軍を暫時喰い止めて家康の軍を
遠ざけるためであろう。
徳川家を滅ぼした際には彼を生け捕って我が家人にすべきなり」
と忠勝を討ち取ることを禁じたそうです。

秀吉・家康が和睦した後に秀吉に召しだされたとき・・・

「秀吉の恩と家康の恩、どちらが貴殿にとっては重いか」と質問されると、

「君のご恩は海より深いといえども、
家康は譜代相伝の主君であって月日の論には及びがたし」
と答えたそうです。さすがですね。


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家康が豊臣政権に臣従したのち、
娘の稲(小松殿)が真田信幸に嫁ぐことになります。

以降、忠勝真田家と親交を深めていきます。

家康の関東入封後、上総大多喜(かずさおおたき)10万石を与えられ、
重臣としての立場を固めます。
家康より6年早く亡くなっています。


忠勝役のキャストを務めるのは「藤岡弘」さんです。
藤岡さんは道場で毎日真剣で修行をしているそうです。

自分の本鎧も持っているので、
他の出演者と同じ撮影用のものでは軽く感じてしまう。

全部で30キロは超えますが、
その重みを体で感じてこそ、本物の侍のような気持ちになりきれると
思います。と述べていました。


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タグ:本多忠勝
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